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フォルクローレ関係で濃く飲んできた

Img_3300
Canon EOS Kiss X2 EF28mm F1.8 USM

先週、3人で飲んだ。
御茶ノ水の和民に、ケーナのY氏、チャランゴのK氏、そしてkawa。
初めての組み合わせだけど、話は尽きない。
ここにその時の記録を掲載する。
時間が経ったので正確な記録ではないが、話しの責任は僕が取る方向で。

僕はPCを持参。
これが当たった。
いまはgoogle mapでラパスなどの詳細な航空写真が見られ、1軒1軒が区別出来る。
ボリビアで住んでいた場所などを特定することが可能である。
ラパスの高い所から低いところまで、画面をスクロールして楽しむ。

そして、YouTubeで動画を紹介しあう。

ボリビアで流行っている?ロックバンドなど、現地の動画。
3連発。ペルーも含む。
日本とボリビアの認識の差を感じる。

そして若いフレディ・トレアルバと、すごいギター。

フレディが若すぎて、まるで別人に見える。
フレディと一緒にやってるギター弾きがいつもすごくて気になっていたのだが、
この動画だと動きがよく分かる。でも音が小さすぎるのが残念だ。

僕は何本かYouTubeに演奏の動画を載せているが、
実際に載せて分かったこととしては、「YouTubeって、英語だよね」と。
動画にスペイン語の紹介を入れたりしたけれど、英語でコメントが来ることが多い。
スペイン語を入れたのは、現地ボリビアでの視聴を意識したものだが、
そういえばボリビアの人口は800万とかで、しかもネット普及率は大変低いのだった。
すっかり忘れていたが、インターネットとは英語の世界なのだ。
今後は、英語を使いつつ動画を載せるべきである。
そうすれば一気に世界が相手になる。

ニコニコ動画は閉鎖的過ぎて、演奏の発表には面白くないかもねとも。
対日本のプロモに限定してさらなるニッチ層を狙うということだろうか。

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今度来日するカルカスは往年のスタイルからはだいぶ変わっていて、
昔からの日本のファンに受け入れられるかどうか、誰かが心配しているらしい。
今のカルカスは歌のハモリという訳でなく、ドラムやエレキベースを加えた編成で、
演奏技術も抜群に優れているという訳ではないようだ。
日本のファンにとってはなじみが薄いと思われる編成であり、
どういう反応があるのだろうか。誰かが心配しているみたいだ。
僕も他人事みたいに語るのも大変なので、行くつもり。チケット取れれば。

ちなみに、カルカスの凄いところは曲のオリジナリティである。

そして日本のフォルクローレ界はコピーバンドが主流であった。
反論もあるだろう。確かにプロはオリジナル曲を多く持っている。
しかしここでいうのは、アマチュアも含めた業界全体である。
例えば、日本のインディーズとも言われるアマチュアロックバンドの世界を見てみよう。
圧倒的な数のバンドが、自分たちの曲を歌い演奏している。
それに比べれば、こちらは本当にコピーばかりである。

問題だと思うのは、一部でコピーが奨励される風潮さえあるところだ。
コピーは、初心者を脱したならば、奨励されるべきではない。
なぜなら、コピーばかりではより技術的に上手いものによる淘汰の連続で、
最後には1つしか残らないからだ。
その1つが演奏を止めてしまったら何も残らない。
同じ曲をやるにしても、オリジナリティが認められるような業界で
なければ今後の発展はないだろう。

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なるべくコピーっぽくない、ライブが観たい。

そんな中、京都の「クアトラーニャ」というグループがいいらしい。
女性4人の編成らしい。最後の「ニャ」は猫らしい。
話だけで何だか想像力をかき立てられる。
フォルクローレというよりは、ケルト側らしいが、チャランゴが入っているようなので
仲間だとみなす。勝手にみなさせていただく。
ぜひ関東に呼ぼうよとなる。
他に、関東のバンド「臨界点」もすごくいいので、その2つプラス
Y氏のケーナDuo、K氏のグループの合計4つでライブが出来たら素敵だと。
僕もそう思う。ぜひ実現させていただきたい。
そのライブのお知らせをメルマガで流せたら楽しいだろうなぁ。

今年の活動予定について。三者三様であった。
演奏場所を探すのが大変のようである。なるほど。
僕はといえば、たぶん忙しくて演奏出来ません。
仕事ある程度やらなくていいなら、ぜひ演奏したいんだけど。

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コメント

カルカスなんてたとえチケット貰っても時間がもったいなくて行く気にならんわ…。

投稿: 俺 | 2009年1月17日 19時49分

あらあら、そうですか?
あれだけカルカスの曲をやっていたじゃないですか。
一体全体どうしたんですか?

投稿: kawa | 2009年1月17日 23時22分

kawaさん、こんにちは。コピーについてのご意見、興味深く拝見させていただきました。
フォルクローレのリズムとか形式とかをマスターしないとオリジナルはやっちゃいけないような、そんな雰囲気があると思います。それは伝統とか民族の習慣などを大切にしているからなのかもしれません。まぁ、私のような初心者はコピー自体、まともにクリアできてないので、スタンダードナンバーであってもオリジナルになってしまってますが(笑)

投稿: 草野乃局 | 2009年1月17日 23時52分

>草野乃局さん
こんにちは。
スタンスの話だとは思うのですが、
民族の習慣を守るとかそういう活動をしたい方は、
すべてコピーで正しいと思います。
逆にコピー以外はだめでしょうね。
僕は日本人なのでかよくわかりませんが。

投稿: kawa | 2009年1月19日 07時56分

>kawa
どうもこうもないよ。
そういうことだよ。
まぁチケット貰ったら行くけどねw。

そういや日本人フォルクローレプログループってのはほとんどいないような気がするね。

投稿: 俺 | 2009年1月19日 18時29分

コピーとかオリジナリティについて。

私も草野乃局さんが言ってることが分かるような気がします。
オリジナリティが出てくるのは、骨の真髄までしゃぶるような「コピー」が出来るようになった上でのことではないのかな、と。
そして、その「コピー」の段階では、日本人か南米人であるかが問題ではないと思います。

だから、Y氏やK氏のような方がそういうふうにオリジナリティを追及するのはとても自然なことだと思うし、ぜひそうしていってほしいと思う。(他の方はよく知らないのでわからないのです、ごめんなさい)。
でも、彼らのような土台なしに、ただただ「オリジナリティ」を追求しようとするのなら、それは本当にオリジナリティなのだろうか?
「アイディア」は重要だと思うけど、単に変わったこと、とか、奇抜なこと、とかを狙ってやるのでは、薄っぺらいものになっちゃうような気がします。

こういうこと、前提にした上での議論だったのかもしれないけどね。

あと、フォルクローレがなんとかある程度長く続いてるのは、そこに何かあるからなんじゃないのかなあ?「いい」と思えば続いていくよね。で、歴代というか、そこに込められたものを尊重するという意味で、伝統とか習慣を大切にする姿勢というのが自然に出てくるんだと思う。
日本人の私たちが完全に彼らの生活に同化するには限界があるだろうし、最終的にはそうする必要ないと思ってるんだけど、少なくとも、ちょっとでも特定の地域のフォルクをベースとして何かしようとするなら、そういう姿勢は大切なんじゃないかと。

本当の意味でのオリジナリティはとても必要だと思います。
ないと発展していかないよね。

うーんと、どうにも言葉足らずだけど、
生田久美子著『わざから知る』を思い出しました。
いい本なので、時間が許せばよかったらぜひ読んでみてください。

カルカスについて。
学生フォルクの中でやってたくらいでしか知らないので、現在の状況とかわからないんだけど、
でも変化してるのは、生きてて時間が経てば当然のことだろうし、
フォルクローレってそもそもそういうものなんじゃないかな、と思ったりします。
別に歴史の中に固定されたものじゃないと。
昔のファンの中には残念がる人は絶対いるだろうけど、一方で、新たなファンだってできる可能性はあるんじゃないかな。

うひぃ。長くなってしまった…。

投稿: meille | 2009年1月19日 19時36分

>俺様
この分野の音楽だけで食べている人ってどれだけいるんでしょうね?
僕としては、自分はプロだと思っている人はプロだと
そういうことにしたいです。

>meille

あー。

僕が言いたかったのは、目指す最終ゴールとして
何を見ているかということでした。
生み出そうと考えているかどうか。
生きた音楽してますか?自分的に。

現状はコピーに偏っていて、それは業界として異常ではないか。

フォルクローレが伝統文化だとしたら、それで正解なんだろうなあ。
でも僕は伝統文化をやりたくてチャランゴを始めたわけじゃないし。
伝統文化なんて語りたいとは思わないし。

伝統文化だとしたら、それは守るのが正しい。(ごめん適当)

日本人だからっていうのは、気にしないで。

投稿: kawa | 2009年1月19日 20時26分

おお。
目指す最終ゴールとして、ね。
それならわかるよ。

えっと、基本的に「生き」てないと、コピーでもオリジナル?でも全く魅力がないと思います。

ていうか、「コピー」という言葉にはどうしても平べったい印象を受けてしまうね。表面的なだけのコピーならそれはそれこそ「生き」てないと思う。
ただ、土台を尊重するっていうことはそういう表面的なことじゃないんだと思う。本気のコピーを追求していって、そしてその中にこそ本質を見出せるんじゃないかと。そのときにはその音楽はすでに「コピー」じゃなくなってて、自分だけの音楽になってる気がする。

「何を演奏するか」、ではないのかもしれない。
どんな古い曲にも、そこに表現したいものとか、自分が見出せれば、それは自分自身の「生き」た音楽なんじゃないかと。

フォルクローレと伝統文化は完全にイコールなわけではないと思うけれど…。
私は、フォルクって、その人の人生そのものなんじゃないかと最近思う(ごめん話飛んでる)。
生活に密着してるもの。だから当然変化するし、本来生きて呼吸してるものだと思うの。
そこがクラシックみたいな西洋近代音楽と違うところだと思う。
だから、日本人には日本人にしか、そして個人にしかできない表現があると思うよ。そしてそれこそフォルクなんじゃないかなあと。最終的には。
ただ、「個人」といっても、否がおうなく歴史の中の時間や空間の中に位置づけられてるはずだから、
それを無視することはできないんじゃないかなあと。
というか、無視してるつもりでも実はできないものなんじゃないか、とか。

あ、ごめんなさい、また脱線したかも。
こんな話ではなかったのかも?


投稿: | 2009年1月19日 23時20分

>meilleさん
土台を尊重すべきでないとは書いていないよ。
基礎鍛錬の反復は技術の向上のために必要なことであります。
とそういう認識してますと明記した方がよかったかなぁ。
僕なんかそれこそ反復しまくってるからか
そんなの当然だと思っていました。

歴史の中に生きているとか、まあその辺は
僕の語るところではないかな。
日本人って言ったのは気にしないで、って。
深い意味はないし、ここでは考える必要がないと思ってる。

投稿: kawa | 2009年1月20日 07時36分

んー、そういうんじゃなくて、まぁいいや。

投稿: | 2009年1月20日 08時15分

基礎鍛錬の反復イコール土台だとは思わないけど…。
でもそういう話じゃないんだよね?

うーんとー、一般的に議論?する上では、上に書いたようなことを抑えてないと、危険になりうるんじゃないかと言いたかったのです。
三者協議では、そういうことはもう既に前提になっている人たちだったと思うから、それでいいと思うのだけど。

だから、こんな長々書く必要なかったのかもしれないけど。

業界のことだけど、アマチュアロックバンドだって、
コピーすごい多くない?
ていうか、学生はほとんどそうだった気がする。
妹がバンドやってたけど、コピーばっかだったような。
でも、ロックとかは層が厚いというか、人口多いよね。
それにエネルギーを感じる。
だから、本気で追いかけていく人もフォルクより多くて、
オリジナリティを出せるバンドも結果的に多くなってるっていうこともあるのかな。
この辺は全く分からないので、想像でしかないけど。

まぁいいやと言われたのに懲りずにしつこく書いてしまいました。

なんだかここにこんなに書くべきじゃなかったかな、きっと。

よくわかんなくなってきたので、今度機会があったら直接。

投稿: meille | 2009年1月20日 11時06分

>ななしさん
ん?

>meilleさん
んー。そうですね。
今度、ブログに記事を書いてみてください。
こちらにトラックバック張ってみたりして。
ブログ書く人少ないからねー。

投稿: kawa | 2009年1月20日 21時50分

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