九段下で電車を降りる。駅を出たところに「チケット譲ってください」と書いた紙を持つ女性と「チケット譲ります」と書いた紙を持つ男性が5メートル間隔で立っていた。2人は結ばれることが出来るのだろうか…。僕は教えてあげるのもおせっかいかもしれないと考え、影ながら応援することにし会場を目指した。
雨が降っていた。開演ギリギリに着いた前回の反省を活かし、今回は開場の約1時間前に駅に到着していた。あたりはすでにコスプレさんたちで溢れかえっている。立派な門の下に雨をしのぐために集まった紫色やピンク色の髪をした女の子たちがいる。以前の僕ならうろたえた光景であるが、僕はもう手馴れたもので、「おおう、今日はさすがに多いねぇ」と余裕をみせる。ひっそりと心の中で。だが、広場にいたファミコンのコントローラのコスプレをした1コンと2コンの2人組にその薄っぺらの余裕は障子に人差し指を突っ込むようにぽすりと音を立てて破られた。コスプレとはコスチューム・プレイのことではないのか?ファミコンのコントローラはコスチュームだったのか?しかもなぜか回転しているし、それを体格のいい白人男性が熱心に撮影している。コントローラは何を目指して回転しているのだろうか、白人男性はどこから来たのであろうか。シチュエーションがうまく理解できない。
入り口付近はすでに人で溢れていた。即販でペンライトの購入を希望するもすでに売り切れとのことで、残念ではあるが今回は素手で応援することを決意する。問題はない、クロールは沢山泳いできた。これまでの2年間、定期的にせっせと泳いできたがそれは今日腕を振り回すための練習だったのだと考える。右手前方を見ると綾波、アスカ、アスカと並んで談笑している。左手には水戸黄門御一行が通り過ぎた。ここはどこだ?いよいよ頭がおかしくなってきた。ぐるぐると列は公園をめぐり、いよいよ武道館内部へ入る。
僕の席は1階席の舞台正面に位置していた。チケットが届いたとき、公演タイトルが貪欲でなく貧(ひん)欲だったのにも驚いたが、1階D列と書かれていたのに大変驚いた。ステージから4列目と勘違いしたからである。ステージ前は「アリーナ席」ということを忘れていて、しばらく舞い上がってしまった。すぐに間違いに気づくとともに、彼女の投げるであろうヌンチャクを頭で受け止めるというささやかで服従的な願望はついえた。しかし実際に会場に入りその場所に行って、落胆する必要は全くなかったと思った。その場所はステージの正面で前の席は機材置き場となり人は座らず、その下はカメラ席。つまりステージから僕のこの場所までの間に視界を遮るものはない。ステージからの距離は数十メートルあるが、その代わりにステージ全体をまっすぐ左右対称に見ることが出来る。アップの映像はステージの左右に設けられた大型モニタを見てもいいし、カメラ席のモニタを覗いても確認できる。これはいい席だありがとうと、ただ運がいいだけかもしれないが、ともかく感謝する。周りの列を見ると僕より前方の席はどうやら関係者席のようで、つまり1階席における一般人の中では最高のロケーションと言って過言ではないのだ。本当にありがとうございますたと、運に感謝した。周りを見渡すと、堀井雄二さんと中村光一さんを発見した。堀井さんはドラクエを作った人。中村さんは風来のシレン等も作った人だ。僕の大切な青春時代の一部を奪い、変わりにちょっとした充実感に変えてくれた人だ。すぐさま走っていって、こんにちは、堀井さんですよねドラクエ好きです!と握手を求めるーような大胆な行動にはとても及べず、静かなる目線を送る。というか最新作をやっていないので少し申し訳ない気持ちになる。堀井さんと中村さんは僕の右方の席に座り、ピンクで染まった開場を見渡していた。アリーナ席はピンクのはっぴを着るか思い思いのコスプレをしたファンで埋まりざわざわしている。
まもなくの開演を告げる場内アナウンスが流れ、しょーこ!しょーこ!のかけ声が武道館全体に響く。照明が落ちる。うわあという歓声とも悲鳴とも取れない声が、サイリウムの星空に響きわたる。
エレキギターによってリズムが刻まれ始める。スクリーンには彼女の映像が映し出される。緊張感が高まる。彼女が登場した。何事かを叫んでいる。何を言いながらどうやって登場したかは、興奮していたためかよく分からない。突然彼女のシルエットが現れ、1曲目から空色デイズだった。警戒する闇夜の中でひっそりと近づいてきた駆逐艦に至近距離からの魚雷攻撃を受けたかのような衝撃がはしる。観客は曲にあわせてオイオイと掛け声を上げる。
会場はのっけから最高潮で、その勢いのままメドレーに突入する。途中でジェットマンの歌が入ったときは、なぜか僕も思わず足を振り上げ、ジェット、ジェット、ジェットマーン!と叫んでいた。頭がくらくらしていた。自身の曲やアニメソング、戦隊のテーマを盛り込んだメドレーは長く、10曲以上つなげた。しょこたんは楽しそうだ。歌いながら笑顔を見せる。
今日のしょこたんはいつも以上に気合が入っているようだ。歌やダンスからひしひし伝わってくる。このライブは彼女にとって過去最大級の仕事ではないかと思う。1万人を前に歌う武道館でのワンマンライブ。プレッシャーはかなりのものだっただろう。準備も相当にしたに違いない。だがこの気合はそういった事情だけによるものではなかったと思う。
武道館は約束の場所。それはファンとの約束であり、大切な人との約束でもある。彼女のファンは知っていることだが、今月の1日に彼女最愛の祖父が亡くなった。彼女はここ武道館でその姿を見せる約束をしていたのだ。
後半、目を閉じ、歌詞をかみ締め、歌う。彼女のうたは大切な人との別れを歌ううたが多い。僕は僕自身がこれまでに経験した別れを思い、彼女のいまの気持ちを想像する。目に涙がにじんでしまう。大勢のファンも同様であっただろう。通路を挟んで隣に立っている女性ファンはハンカチで涙を拭い始めた。
次が最後の曲になります、としょこたんは言った。涙がこぼれ落ちないないようにするためかまばたきを繰り返している。最後の曲は「ありがとうの笑顔」だった。細かい表情を確認するにはここからは遠すぎるし、カメラのモニタは小さすぎる。だが彼女はきっと泣いていた。それは大きな仕事を成し遂げた達成感によるものなのか、亡くしてしまった大切な人のことを思ってのものなのかどうか僕には判断することができない。だが、彼女はあの小さい体で色んな苦難をよいしょと乗り越え、いまこの場面に立っているのだと感じた。
アンコールに入ると彼女は緊張からいくぶん解放されたように見えた。用意された3曲を歌い、ありがとうありがとうと何度も繰り返し、舞台袖に消えていった。画面にスタッフロールが流れる。背景音楽は1曲目でも歌われた空色デイズだった。そのメロディに合わせ、観客たちが空色デイズの合唱を始め、生の歌声が空間に響き渡る。と、再び彼女が登場した。ありがとうと言い、観客と一緒になって歌い始める。そしていつの間にか持ち場に戻ったドラムがカウントを始め、バンドが演奏を再開した。最後の曲は最初と同じ空色デイズになった。観客も一体になって歌った。曲が終わり、名残惜しそうにありがとうと繰り返しながら再び去っていく。次に会うまで元気で、病気や怪我をしないでね、とみんなに訴える。みんなも出来るだけ大きい声で彼女に応える。僕も長い拍手を送った。大勢のファンの声は混じりあい大きなうねりとなって言葉としては聞き分けることは出来ないがその思いは同じだろう。
ざわつく武道館の外に出ると静かな雨が降っていた。僕は余韻にしびれていた。かわいさと力強さとせつなさが同居したいいライブだった。観にいくことが出来て良かったと思う。ふと、コンクリートの足下に光る帯を発見した。彼女の手書きのメッセージが印刷されている。コンサートの仕掛けで発射されたものを誰かが落としたのだろう。僕は雨に濡れつつあるそれを保護した。
(了)
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