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夏の京都へいく その3

京都2日目。前日は深夜まで夜の京都見学をさせてもらったため
起床は遅くなってしまったが、特に予定というものがない旅なので、
何も不都合はなかった。

適当に選んだ建仁寺へ行ったものの、一番の見所である有名な庭は、
建物の補修工事のため見られない状態だった。
でもまあ最初から何にも期待していなかったのでいいかなと思った。
小さい庭や、天井に描かれた立派な龍の絵をひとしきり眺めるだけで満足した。
平日だったためかひっそりとしていて、心を休めるには良かったと思う。

お昼を食べ、またひたすらに、祇園の辺りを歩きまわる。

夜になって、また友人と合流する。
今日はあるお寺に務める人たちと、定期的に話す日だというので、
それは面白そうだということでついて行ってみる。
コンクリートの建物に着き、会議室のような所に人が集まってくる。
お寺の人は3人。僕達と同じくらいの年代の坊主と、事務員っぽい男性と女性が一人ずつ。
あとは僕とその友人だけだった。
誰でも参加出来る会なのだが、最近は来る人が減ってしまったとのことだ。
坊主頭が話を始めた。

ラジオの子供向け番組で大人に質問をして答えてもらう番組をたまたま聞いていたら、
一人の女の子がこんな質問をした。
「地球の反対側にいる人が下に落ちないのはなぜですか?」
反対側にいる人は僕達と逆さになっているはずなので、下、つまり宇宙の方に
落ちて行くのではないか、どうして落ちて行かないのかという質問だ。
ラジオの回答者は少女に重力について説明したが、
少女は少し分かっていないような反応だった。
ここで、坊主は僕達に問いかける。
少女に科学について教えても納得してもらえるのは難しいのではないか。
他の説明をした方が良かったのではないか?
坊主は坊主なりに、少女が納得してくれると思う答えを考えたと言う。
反対側にいる人が宇宙の方に落ちないのは、みんなが目に見えない思いやりの心で
つながっているから落ちないのだよ。手と手を取り合って、繋がれているのだよ。

坊主の話が終わり、休憩に入った。

出してもらったお茶菓子をほうばりながら、僕は、一体どういう回答がこの場合に
良かったのかについて考える。
坊主の言うようなハートフルな回答でいいのだろうか?
いや、仮にいま納得してもらえないとしても少女には科学的な真実について
ちゃんと説明するべきなのではないか。そう思った。
あなたはどう思いましたか?と尋ねられたらちゃんと答えられるように、考えをまとめた。

休憩が終わった。
坊主が先ほどの話、どう思いましたか?と僕の友人に質問をした。
友人「いやー、面白い話でしたね。ところで最近僕がハマっているラーメン屋がありまして
そこでメニューに載っていないラーメンが頼めることを雑誌で知ったんですよ。
それからもうずっと仕事帰りに寄っては、その裏メニューを頼んでいるのですが、
どうも店主の態度が僕に対してそっけないんです。どうやらその裏メニューは頼んで欲しくない
らしいんですね。雑誌に載っていたにも関わらずですよ。試しに友達にそのお店を紹介して、
一人で行ってもらって、そのメニューを頼んでみて貰ったのですが、
店主から「そんなメニューはないよ」と言われたらしいんですよ。
何ででしょうね。それと、僕はいつもにこやかにその店主に話しかけるのですけれど、
いつも、ああ、とか、ええ、とか、やけに反応が冷たいんですよ。何ででしょうね。
殆ど常連と言っても良いくらいに通っているのに。
…あのラーメン屋は繁盛していて、店主は成功していると言えるでしょう。
しかし、社会的に成功することと、その人が人間的に素晴らしいかどうかは全く無関係なんですよ。
僕はそう思いましたね。」

( ゚д゚)ポカーンとする僕を横に、坊主でないお寺側の男性が話しに加わった。
「へぇ、それ、どこのラーメン屋ですか。ああ、あの辺りですか。
 で、そのメニューに載ってないラーメン、何て言うのですか?へぇ、それは美味しそうですねー」

坊主の口元は笑っているが、目を見開いて友人の方を見ている。
ラーメンの話に入るべきか、迷っているのかもしれない。

そうか、お寺側以外の参加者が僕の友人ただひとりだけになったというのは
こういう訳があったのだなぁと、僕は膝をたたき、重大な謎が解けたと満足し、帰路についた。

次回、祇園祭へ。続く。

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コメント

ども、ご無沙汰してます。
前にBlogで読んだことがあるんですが、
「なぜ地球の反対側の人が落ちないのか?」という問いに対して
理系的に「それは重力があるからだよ」と答えるのは、
実は"Why?"という疑問を"How?"に置き換えて
仕組みについて説明しているのであって
理由そのものの回答にはなっていない、という話があります。
これに対してお坊さんの話は、人は仲良くすべきという考え方があって
それを守らせるために世界が設計されている――というような、
目的ありきでそれに沿った理由を回答していることになる、と。
この"Why?"と"How?"の間には、通約不可能性とも言えるような深い断絶があるのだけれど、
少なくとも日本語の文化圏はその2つの違いを緩やかに無視する文化になっているみたいです。
とまれ、理系に属する身としては、
"Why?"に対する回答を放棄して"How?"に徹した方が
はるかに強力で幸せな生き方ができるのも事実なので、
自分は理系的な回答をするかなーと思いますねぇ。

投稿: 椅子 | 2011年9月11日 22時47分

>椅子さん
コメントありがとうございます。
なるほど、有名な話だったのでしょうか。
坊さんもラジオで聞いたというのは実は違ったかもしれませんね。なんて思ってしまう僕は悪者だ。。

目的ありきで答えるのか、仕組みを伝えるのか、で断絶があるというご指摘ですね。
なるほど。
長い目で見れば仕組みを伝えたほうが、冷静に世界を見ることがやりやすいと思うので
僕も仕組みを教える派ですね。
なんとなく、体系付けられているかも、という安心感のようなものも得られるかもしれませんし。
ニセ科学に騙されなくなるような気がしますし。

当初は、坊さんの回答案はあり得ないとさえ思ったものでした。
ラーメンでどうでも良くなりましたが。

投稿: kawa | 2011年9月12日 22時45分

あぁいや、上のは僕が勝手に今回の話に当てはめてみただけでして。
元は「なぜ空は青いのか」とかだったかと思います。

"Why?"に対する回答を持たないのは、
最初の公理系を定義してあげないと成立しないという
現代科学の最も脆弱な部分なのかなと思います。
西洋ではそれに対する解答として宗教が密接に関与しているんだと思いますが
(「なぜなら神様がそう創ったからだ」という感じで)
日本人はその部分が空白になっちゃったので、
特にその坊主小噺が微妙に感じられるのかなと思いますねー。

まぁそんなことよりラーメンですよね。

投稿: 椅子 | 2011年9月13日 01時35分

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