演奏のオリジナリティとコピーについての僕のツイートまとめと追考
kawaです。
僕は来月に演奏を控えています。
Twitterでつぶやいた所、反響を頂き、また考えることもあったのでまとめておきます。
ツイッターは流れて消えてしまうし、僕の記憶もすぐ消えてしまうので。
ツイートのまとめは以上です。
さすがツイート。雑然としていて、並べてもまとまりがありません。
そもそも何でいまさらこんなことを考えたのかというと、以下の記事を読みなおしたから。
ボリビアチャランゴ協会主催・第6回国際チャランゴフェスティバル参加者募集要項
ボリビアで開催されているチャランゴフェスティバルへの参加を呼びかける記事です。
この記事の最後の部分に、ある記述。
「レパートリーに関しては、自作曲であれ編曲ものであれオリジナリティを心がけてください。
日本とは異なり、他有名奏者の「そのままコピー」は本場ではNGです。」
この文章の真実(真意)は不明です。
でも、ただ単に音を増やしたり、メロディを変えたり、テクニックを加えたりして、
オリジナリティだ!と喜ぶのは違うなと僕は思うです。
この業界はそういう演奏が多い気がします。
僕は、楽譜は同じでいいのではないかと思います。
同じ楽譜を元に演奏しても、出来上がる音楽は異なります。
僕はその微妙に異なるところが重要なのではないかと。
具体的には、リズムの捉え方、メロディを捉える範囲とか、音質とか、強弱とか、音と音との隙間とか。
「オリジナリティ」に目を光らせている聴衆がいるとして、僕はそんなの気にしないことにしました。
(※ここで僕がいう「オリジナリティ」とは、メロディやテクニックが異なっているかとか。)
もちろん、楽譜と違った演奏をして元のものを超えられることもあると思いますし、
それは本当に素晴らしいことだと思います。
しかし、どう演奏するにしても原曲が意識している楽譜には表れない所を
感じ取ることの価値はすごくあると思います。
というわけで、来月の僕の演奏はある意味でコピーだけど、
改悪するよりはよほどいいと思っているし、リスペクトしてるし、堪忍してください。
ついでに失敗しても見逃してください。(-:
僕以外の人が感動的な演奏をしてくれると思います↓
「第6回チャランゴの集い」のお知らせ: 白いあなぐら
僕は来月に演奏を控えています。
Twitterでつぶやいた所、反響を頂き、また考えることもあったのでまとめておきます。
ツイッターは流れて消えてしまうし、僕の記憶もすぐ消えてしまうので。
そういえば、いま目指してる方向にオリジナリティはないな…。あと1ヶ月あるからアレンジも考えたいところだけど、アイデア浮かぶだろうか。まあ出来ない所を簡単にして、「アレンジです」というよりはいいかなー。(そう考えると、つまりより難しいアレンジを考えないとならんことになるのか?)
— kawaさん (@siroianagura) 4月 27, 2012
僕が演奏したとして、「よく出来ました。でもコピーだよね。コピーはオリジナルには敵わないよね」って言われても、そういえば全く悔しくも何ともないだろうことに気がついた。それはプライドがないってことじゃなくて、オリジナルをリスペクトしているからだと思う。
— kawaさん (@siroianagura) 4月 27, 2012
まぁコピーでいいや。僕はまだまだコピーから学んでいる段階でごわす。っていうか、アレンジやオリジナルやコピーの違いってそんなにわかりやすいものでいいの?そんな分かりやすいところに音楽の価値があるのかなー。
— kawaさん (@siroianagura) 4月 27, 2012
例えば、「オリジナルは単音だったところを、トレモロにアレンジしました」で、OKなんだろうか。そこは単音がベストだと思っていたら、どうやったって単音でしょうに。
— kawaさん (@siroianagura) 4月 27, 2012
本質は、もっと細かいところに宿っていると思うなぁ。しろーとトークを失礼しました。…あれ?前にこんな話題聞いたことがあるぞ。げっ、この思考も誰かのコピーか!?ってところで今日はお開き。ありがとうございました~。
— kawaさん (@siroianagura) 4月 27, 2012
ツイートのまとめは以上です。
さすがツイート。雑然としていて、並べてもまとまりがありません。
そもそも何でいまさらこんなことを考えたのかというと、以下の記事を読みなおしたから。
ボリビアチャランゴ協会主催・第6回国際チャランゴフェスティバル参加者募集要項
ボリビアで開催されているチャランゴフェスティバルへの参加を呼びかける記事です。
この記事の最後の部分に、ある記述。
「レパートリーに関しては、自作曲であれ編曲ものであれオリジナリティを心がけてください。
日本とは異なり、他有名奏者の「そのままコピー」は本場ではNGです。」
この文章の真実(真意)は不明です。
でも、ただ単に音を増やしたり、メロディを変えたり、テクニックを加えたりして、
オリジナリティだ!と喜ぶのは違うなと僕は思うです。
この業界はそういう演奏が多い気がします。
僕は、楽譜は同じでいいのではないかと思います。
同じ楽譜を元に演奏しても、出来上がる音楽は異なります。
僕はその微妙に異なるところが重要なのではないかと。
具体的には、リズムの捉え方、メロディを捉える範囲とか、音質とか、強弱とか、音と音との隙間とか。
「オリジナリティ」に目を光らせている聴衆がいるとして、僕はそんなの気にしないことにしました。
(※ここで僕がいう「オリジナリティ」とは、メロディやテクニックが異なっているかとか。)
もちろん、楽譜と違った演奏をして元のものを超えられることもあると思いますし、
それは本当に素晴らしいことだと思います。
しかし、どう演奏するにしても原曲が意識している楽譜には表れない所を
感じ取ることの価値はすごくあると思います。
というわけで、来月の僕の演奏はある意味でコピーだけど、
改悪するよりはよほどいいと思っているし、リスペクトしてるし、堪忍してください。
ついでに失敗しても見逃してください。(-:
僕以外の人が感動的な演奏をしてくれると思います↓
「第6回チャランゴの集い」のお知らせ: 白いあなぐら
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コメント
あれだね、誰々指揮のチャイコフスキーがいいとか、
誰々演奏のピアノじゃなきゃとか、そういう類のものですね。
投稿: いそむら | 2012年5月 5日 16時24分
>いそむらさん
そうです、そういうことだと思います。
同じ曲でも指揮者や演奏者が違えば、解釈が変わるということを言いたかったです。
そのままコピーってなんだろうっていう話になっていくと思いますが、
危ない気がしたので(笑)そこまで突っ込みませんでした。
投稿: kawa | 2012年5月 5日 22時21分