上腕骨骨幹部(遠位)骨折

20130507 手術(上腕骨骨幹部骨折#8)

時間が来た。
僕は病室からベッドごと運ばれ、手術室の前で家族と別れる。
手術室内は宇宙船みたいだ。
飾り気のない内装、金属で出来た壁。
ベッドを2回乗り換え、部屋の奥へと向かう。
看護師が2人付き、麻酔の先生が自らの仕事を説明してくれる。
顔の上にはバルタン星人の目のようなライトがいくつも並んでる。
足元の方を見ると、壁に大きなモニターが埋め込まれていて、グリーンの手術着を着た医師が腕を組み、厳しい表情でそれを見つめている。
モニターに映されていたのは僕の腕の立体映像だった。
初めて見た3Dの腕は、果たしてどうすればくっつくのか僕には分からないほど、大きく、斜めに切り裂かれていた。
麻酔が入り始める。
白色のそれは点滴の管から僕に侵入し、血管を伝って身体の芯に広がっていく。
深い切り込みを入れられた樹木から滴り落ちる、白い液体を想像する。

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入院(上腕骨骨幹部骨折#7)

夜の3時に友達を叩き起こし、病院や119に電話をかけた僕は、
これは時間が重要なポイントかもしれないと考え、
始発の新幹線で帰ろうと友人に頼んだ。
ここ岡山から地元に帰るには少なくとも5時間はかかる。
向こうで受け入れてくれる病院を見つけるのにも苦労するかもしれない。

朝までの時間を使い、iPhoneで骨折についての情報を収集する。
ネガティブな情報がたくさん収集される。
痛みで一睡も出来ないまま友人とタクシーに乗り駅へ向かった。
荷物はほぼすべて宅配便で送ってもらうよう頼んだ。

6時発の新幹線で腕を冷やしていると、7時過ぎ頃に電話が鳴った。
受診した病院からだった。
おそらく次の日の当番の医者に話したところで対応のまずさに気づいたのだろう。
電話はスタッフからかかってきたが、途中で医師に代わった。
いま新幹線に乗っていると話すと、医師はなぜか安心した感じになり、
お大事にとか適当なことを言ってすぐに電話を切ってしまった。
この医師は悪くない。ベストを尽くしたと思う。
しかし、三角巾のみで添え木を当てなかったのはまずかったし、
この後判明するのだが、紹介状にレントゲン写真を付けていなかった。
そのため、あれだけ痛い思いをして取ったレントゲンをまた取ることになった。

新横浜から横浜線に乗換え、八王子へ。
歩く度に骨に響く。骨が動いて体の中を刺している。
運がいいことに駅の構内はさほど混んでいなかった。
家族と合流し、ひとまずここから一番近いS病院へ電話した。
S病院の医師は僕が都内在住でないことを聞くと、
腕相撲の骨折は手術が簡単で、うちでなくても手術できるから
地元にしなさいと言った。
言い方がうまい。
自分の技術が優秀であるということをアピールしつつ、受診を拒否している。
だが、治療は決して簡単なものではないことは後で分かったのだった。

この医師はプレートを使用した手術を想定したのかもしれない。
腕相撲の骨折は、上腕骨の中央に近い部分に起こることが多いからだ。
しかし、僕の骨折は肘に近い場所で起こっていた。
この場所は神経が通り、プレートの手術では神経麻痺が起こる事が多い。
(ネットで見つけた文献によると7例中2例で神経麻痺。)
あるいはプレートではなく、髄内釘を考えたのかもしれない。
だが髄内釘では骨折部が下方過ぎてうまく止められないことが後に分かる。

歓迎しないという医者のところに行くはずもなく、地元の総合病院に電話をかけ
事情を話すと来て下さいと嬉しい回答が得られた。
いま八王子にいるので2時間位かかるというと驚いていた。
そして、診断。
レントゲンは腕を動かすためやはり痛く、呻きながら4枚も撮影した。
そして即日入院の判定。ようやく入院できた。
結婚式に出たままのスラックスに、上は三角巾を付けた格好で。
岡山を出てから7時間半が経っていた。

最初に治療する病院をどこにするかは非常に重要なことだ。
後で思いついたのだが、地元の病院で肘近くの骨折に強い病院はどこか、
僕は医者になった友人に尋ねるべきだった。
友人は整形外科ではないが、その友人には整形外科医はいるはずで、
各病院の体制について知っているはずだ。
手術後これに気づいてから友人に尋ねてみたが、すでに遅かった。
結果的に良かったのかどうか、答えは未だ出ていない。

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診断2(上腕骨骨幹部骨折#6)

温泉宿に着くとみんなが浴衣に着替えて待っていてくれた。
ひとまず今日は寝て、明日の朝ごはんを食べてから帰ることになった。
八王子までは友人の1人が付き添ってくれる。

寝ると言っても、右腕が折れており痛みがある。
身体を動かすと、折れた骨が動くのが分かる。
布団に横になるのは無理だ。
そういえば骨折には添え木をすると聞いたことがあると思い出した。
何で医者は添え木をしてくれなかったのか。
三角巾だけでは不安定で腕が動く、動くたびに痛みが走る。
添え木があれば少しは楽なのではないか。

椅子に腰掛け、腕に氷水を当て、目をつぶるが痛みで寝られない。
見ると腕が大きく腫れており、小指と薬指が痺れ始めた。
その腫れや痺れはちょっと普通ではないように思え、心配になって
先ほどの病院に電話で聞いてみることにした。
電話に出たスタッフに状況を話し、医師に意見を求める。
しばらく待つと医師からの伝言をスタッフが伝えてくれる。
来てもらっても圧迫するしか方法はない。
僕は少し考えますと言って電話を切った。
圧迫?添え木ではないのか。圧迫なんてされて大丈夫か。
素人の判断だったが、行かなくて良かった。
もし仮に医師の言う圧迫がギブスなどでの圧迫を意味していた場合、
最悪の事態もあり得た。
フォルクマン拘縮だ。

フォルクマン拘縮(阻血性拘縮) とは - コトバンク
-引用開始
肘の周辺の脱臼や骨折などのあとに、内出血や圧迫などによって閉鎖された
筋肉・神経・血管の組織の内圧が上昇し、循環不全がおこり、
これによって筋肉の組織が死んだり(壊死)、
末梢神経まひをきたし、肘から手にかけての拘縮、まひが生じる病気です。
(中略)
フォルクマン拘縮は、いったんおこってしまうと治療はむずかしく、
もとどおりには治りません。
-引用終了

僕はフォルクマン拘縮を知らなかったが、この医師では駄目だと直感で判断し、
119番へ電話をかけた。
火事ですか?との質問に、いいえ火事ではありませんと答え、
緊急外来で骨折を見てくれる病院を教えて下さいとお願いした。
答えは3つあったが、一番最初に出てきたのがこのS病院。
ここが一番大きい病院らしい。
僕は腫れと痺れが心配だったが岡山での治療を諦め、関東に戻ることを決断した。

後日、岡山に住んでいた知人に聞くと、S病院は有名な大病院とのこと。
調べると肘の専門医もいるようで、病院の選択は悪くなかった。
悪いのは、休日の深夜という時間帯だ。この時間には当直の医師しかいない。
僕を診てくれた医師はとても若かった。知識や経験の浅い研修医だったのかもしれない。

夜に大怪我をしてはいけないのだ。その時間帯に怪我をした僕が一番悪い。

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診断(上腕骨骨幹部骨折#5)

用意されたタクシーで病院に向かう。
救急車じゃないのかと思ったが、痛みはないので黙って乗る。
佐伯が同乗してくれた。
どんどん気分が悪くなっていく。

S病院に到着し、夜間緊急外来の受付へ向かう。
時計は夜の11時を指していたが、待合室には数人の患者が待っていた。
腕は伸ばしたまま椅子に座る。深い呼吸を繰り返す。
12時になり、ようやく部屋に呼ばれた。
佐伯が、整形の先生ですよねと看護師に聞くと
はい、顔の専門ですがとの答え。
顔の専門。

レントゲン台に腕を乗せる時から痛みが始まった。
腕を動かすと痛い。台に乗せられない。
看護師に腕を動かされ、2,3枚写真を取った。

黒縁のメガネをかけた若い医者は、撮られたばかりのレントゲン写真を白板に貼り、黙った。
黒い背景に2本の白い線が入っている。
先生、これは、、。
僕がそう言いかけるとようやく口を開く。
折れてますね。
そう言ったきり、また沈黙する。
静寂が部屋を覆い、僕、医者、看護師の誰もが次の手を思案した。
手術が必要ですね。
医者が口を開いた。
入院するところですが、ご自宅はY県。遠いですね。
しばし沈黙。
ゴールデンウイーク中は手術が出来ないので、
明日自宅近くの病院まで移動し、そちらで入院されると良いのではないでしょうか。
この日はGW初日。僕は初めてGWを恨めしいと思った。
看護師が待合室にいた佐伯を連れてきて、医師が状況を説明。
そしてまた沈黙。
これで話は終わりなのかと思ったところで、看護師が三角巾を薦めてくれ、
首から右腕に三角巾が巻かれた。
三角巾、結構ぷらぷらする。
痛み止めの薬と紹介状と、ビニール袋に入れた氷水を貰い、
予め取っていた宿に戻ることになった。

宿で待っている友人たちに佐伯が電話し、
腕の骨の2本あるうちの1本が折れたと説明した。
上腕骨は1本しかない。
あまりにも派手に離れていたため、2本あるように見えたらしい。

岡山から関東まで帰らなければならない。

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受傷(上腕骨骨幹部骨折#4)

腕相撲トーナメント第3試合。
勝負はやや僕が優勢で、長く動きがなかった。
肩や胸の筋肉の充実を感じ、負ける気はしない。
ベンチプレスで100kgを上げた胸筋を使えば勝てる。
一気に力を入れていった。

瞬間、パキッという短い音がし、肘から先の感覚がなくなった。
驚いてテーブルをみると、僕の手のひらが上を向いている。
異変を感じたイケメンの友人が真っ先に駆け寄ってきた。
大丈夫か?
ダメだ、折れたか、良くて脱臼したかだ。救急車だ。
腕は全く動かすことができず、ぶらりと僕の肩から下がっている。
心配そうに見つめる花嫁に、大丈夫ですよと声をかけ、
イケメンとともにエレベーターへ向かった。

酒のためだろうか、痛みはない。
ただ体中から脂汗が流れ出してくる。気分が悪い。
腕はただまっすぐに下を向いたまま、動こうとしない、
いや、動かしてはいけないものだと直感した。

会場の人に救急の手配を頼む。
スタッフの若い男が来て事情を聞き、脱臼ですね、と言う。
ちょっと痛いけど、いま僕が関節入れますよ、よろしいですか?
脱臼、なのだろうか。
いま処置すれば、すぐに宿に戻れて、温泉にも入れますよ、と彼は言う。
だが僕は、これ以上迷惑をかける訳にはいかないと断った。

骨折であって欲しくないという願いから、その場にいた人はみんな
脱臼だろうと自分自身を信じ込ませようとしていたと思う。
いや、単に無知だったのかもしれない。

正しい怪我の状況はまだ誰にも分からない。
こういう時、ものごとは楽観的に見積もるべきではない。
結果、骨折であり、もし彼の「手当て」を受けていたら
いまこうしてキーボードを打てていなかったかもしれない。
僕は骨折した友人を知っていたから、最悪の事態を避けることができた。

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結婚式(上腕骨骨幹部骨折#3)

岡山駅。
新幹線の改札を出るとすぐに佐伯の姿を見つけた。
久しぶり!何年ぶりだ?あいつの結婚式以来か?
いや、あの時は留学してたから出られなかったんだ。
となると、寮の管理人室で飲んで以来か、5年振りか?ほんと久しぶりだな。
佐伯は、大学の寮の同期で、顔は馬に似ているが、
アメリカに留学しMBAを取得した男だ。
他のみんなもすでに到着していて、喫茶店で早くも酔っ払っていた。

会場に到着した。今日は寮の同期の結婚式。
寮の同期が久しぶりに集まった。
佐伯は仕事で今度は東南アジアに数年行く、ついでに結婚もすると言った。
何でも、婚約者がいたが2ヶ月前に別れ、新しい彼女とすぐに結婚するらしい。
さすがアメリカ帰りは違う。

結婚式は無事に終わり、2次会。
腕相撲しか企画がないので1曲演奏して欲しいと言われ、
僕はたまたま持って来ていたチャランゴ(南米の弦楽器)をソロで演奏し、ぬるい拍手を頂き、
その後にサプライズで出てきたプロ音楽家4人の演奏で会場は大いに盛り上がった。
最終種目は腕相撲。

過去に腕相撲で骨折が起こった光景を寮生はみんな見ている。
骨折することがあると知っているのに、やってしまった。

ネットで調べると、韓国の筋肉系アイドルグループのメンバーもやっていた。
2PM テギョン“筋肉が多すぎて骨折?”「自分でも信じられなかった」
「お医者さんに聞いてみると、筋肉量の多い人は腕相撲をしてはいけないと言われた。」
とのこと。

腕相撲で骨折した人を3人知ってるという人がいた。
yoshi Muramatsu - Google+ - 【骨折ブラザーズ】 ~逃げるが勝ち~
コメント欄の
「おそらくアームレスラーのような方達は回旋させるんではなくて引くんだと思いますよ^-^」
というのが僕の実感に近い。骨は捻れの力に弱い。

メカニズムについて。
あすなろ整形外科クリニック
「「自家筋力による骨折」というもので、
グィーっと力を入れた途端に自分の筋肉の力で骨をねじ切ってしまうような状態」

まとめもある。
腕相撲。ダメ、絶対!(経験者は語る) - NAVER まとめ
8年経っても重いドアは開けられないとのこと。
「良いところはこれぐらい」の画像に強く共感。

知恵袋にも。
昨年、腕相撲をした際に右腕上腕骨の斜骨折をしました。 その後骨はついたのですが... - Yahoo!知恵袋
「後遺症で筋力がありません。ボーリングやキャッチボールなど出来なくなりました。
病院をいくつか回り、手の名医と言われる医師に「プロ野球選手でいうと解雇で、
筋繊維が傷だらけで一生治らない」とはっきり言われました。」

プレートを入れる手術だと早期に社会復帰できるけど、
手術で筋肉を切る必要があるため元の筋力には戻らないことがあるということか。
僕の場合はプレートではなく創外固定なので手術ではさほど筋肉を切っていないが、
骨折時や移動時にかなり断裂したという筋肉はどれだけ戻るのだろう。

※ 文中の人物名はほとんど仮名です。

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9年前の骨折(上腕骨骨幹部骨折#2)

9年前、某大学の学生寮で追いコンが行われていた。
学年対抗でスポーツ大会が催され、最終種目は腕相撲。
筋トレで鍛えた同期の友人は下級生チームに連勝を続け、
最後の大物を引きずり出した。
相手は応援指導部で旗手を務める男。
自虐的ともいえる訓練で鍛え抜かれた肉体は、体重80kgにして体脂肪率6%。
連勝を続けた友人もさすがに勝てないだろう、みんなそう思っていた。
だが勝負は意外な展開を見せた。
友人が優勢だ。
ゆっくりと応援団の腕を押し下げ、勝利は目前である。
その時、乾いた音がし、一瞬で勝負が付いた。
応援団が土壇場で逆転勝ちをしたのだ。
みんなが歓声を上げると同時に、友人が悲鳴を上げていた。
痛い!痛い! !
みんな、冗談だと思って笑った。大げさだろうと。
しかし彼はいつまでも苦痛を訴え続けた。
救急車が呼ばれ、彼は運ばれていった。
後日、僕はお見舞いに行き、彼のレントゲンを見せてもらった。
腕の骨が、斜めに裂けていた。

あれから9年、歴史は繰り返された。

前の記事→退院(上腕骨骨幹部骨折#1): 白いあなぐら
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退院(上腕骨骨幹部骨折#1)

kawaです。

入院してから82日、明日ようやく退院することになりました。

4月下旬に右肘のすぐ上、上腕骨の骨幹部を骨折をし、
5月上旬に創外固定の手術を受けました。
肘の拘縮は現在のところ、進展で約15度、屈曲で約10度。
肩はあまり動かせてないので不明です。
幸いにも神経までいっておらず、手先は痺れなく正常に動きます。
腕には創外固定器が付いたままで、動かすと痛みがあり、
骨が付いていないため重い物は持てませんが、
仕事には7月下旬から復帰する予定です。
骨の隙間が完全に埋まるまで1年ほどかかる見込みです。

骨折が完治してからすべてを書こうと考えていましたが、
予想より時間がかかるため、忘れる前に少しずつ体験を書いていきます。

過去に僕と同じやり方で骨折をした友人がいましたが、
彼は骨折を恥と考えたのか、僕の質問に何も答えてくれませんでした。
もし彼が答えてくれたら、今回のようなことは起こりませんでした。
僕は他の人が同じ骨折をしないためにも、恥を忍んで書いていきます。

骨折は、ただ骨が折れるだけではないのですね。
周りの神経や筋肉もダメージを受けるということを体験しました。
(まだ一部体験中です)

続き→ 9年前の骨折(上腕骨骨幹部骨折#2): 白いあなぐら

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